急性虫垂炎による汎発性腹膜炎の手術遅れ急性虫垂炎による汎発性腹膜炎の手術遅れ―医師側敗訴 急性虫垂炎、汎発性腹膜炎、急性化膿性腹膜炎、胃腸炎、診断の遅れ、エンドトキシンショック 患者(14歳、女子中学生)は、急性虫垂炎による急性腹膜炎の手術が遅れ、エンドトキシンショックのため死亡した。医師が、初診時に胃腸炎の疑いと見て、急性化膜性腹膜炎の診断に至らなかったことに、過失があるとされた事例がある。 1 昭和52年12月3日(土)午後3時ころ軽い腹痛を訴え、午後六時の夕食時に嘔気を訴え、午後10時ころ嘔吐、午後10時15分ころ訴外救急病院当直医Aの診察を受けた。検査結果から虫垂炎を含む急性腹症、場合によれば腎盂腎炎の疑いがあると診断した。疼痛が軽減しないので、一般外科医の当直し入院可能な被告病院に救急車で転送した。 2 12月4日午前0時当直外科医診察開始、腹部に間歇的自発痛、強くない筋性防御、鼓音、不特定部位に圧痛、虫垂炎及びこれによる腹膜炎を疑わせる徴候があった。白血球数7500、立位と横臥位の腹部レントゲン写真で左横隔膜下にガス様陰影、化膿性腹膜炎ではなく胃腸炎の疑いで経過観察、腹部外科専門医に相談したがガス様陰影の解釈に結論が得られなかった。 3 4日午前10時、筋性防御、波動触知、腹水貯留、圧痛増強、白血球数21,000、化膿性腹膜炎と診断、午後2時手術開始、膿性腹水の貯留、虫垂周辺に膿瘍形成、翌5日午前8時50分急性虫垂炎を原因とする汎発性腹膜炎によるエンドトキシンショックで死亡。 「1 ……ような急性化膿性汎発性腹膜炎に罹患した場合は、可及的早期に開腹手術を行い、原因疾患の処理と排膿を行う必要があり、これを遅延すると患者の生命に危険の及ぶ恐れが大きい。幸代に対しても、A医師による初診後の適切な時期に開腹手術を行っていたならば、救命しえた蓋然性は高かったものであり、右開腹手術の遷延が死亡に至った最大の原因である。 A医師は、初診時における前記の症状によっては、未だ胃陽炎の疑いもあり、虫垂炎ないし腹膜炎と診断するに至らず、経過観察をすることとしたものであるが、同医師が右措置をとったのは、要するに、(イ)発現している症状が比較的軽く、発症後の経過時間が短く、全身状態もそれ程悪くなく、虫垂炎ないし腹膜炎に特有の症状に欠けるものがあったこと、(ロ)白血球数が水準値に近く化膿性疾患を疑わせるような増加が認められなかったこと及び(ハ) 胸部レントゲン写真により認められた腹腔内ガス様陰影を腹腔内遊離ガスを示すものと判断しなかったことによるものであった。 しかしながら、同医師が胃腸炎を疑ったのは、昭和52年12月3日午後8時ころに腹痛が起き、同10時ころに高熱をみたというその発症の急激性に因るものであったところ、前記認定の如く、幸代は同日午後3時ころから腹痛を訴え、その後は夕食も取らずに安静を保たざるをえない状態であり、この間に軽い嘔吐もあったのであるから、初診時の問診が十分に尽くされていたならば、右発症の時期、経過は知りえたわけであり、初診時の症状に虫垂炎ないし急性腹膜炎特有の症状の一部が欠けていたとはいえ、なお同症を疑うに足る症状の一部の発現を見ていたのであり、かつ、同症に対する医療措置は臨機に緊急を要する場合が多いことからしても、同医師において問診による前駆症状の把握に慎重さを欠いていたといえなくはない。また、発現する症状及びその程度はケースにより異るものであり、前認定の発熱、嘔吐、腹痛、腹部圧痛、腹部筋性防禦、脱水症状、鼓腸等は、軽度のものもあったとはいえ、いずれも虫垂炎ないし急性腹膜炎を疑わせるものであり、後記の腹腔内遊離ガスの存在や消化管内ガス貯留を合せ考えると、急性腹膜炎と診断することは可能であり、これは医学上不合理なものではなかった。 白血球数値についても、 一回の検査結果のみに頼ることなく、他の症状において虫垂炎ないし急性腹膜炎を疑わせるものがあるのであるから、経過観察として朝まで待つことなく、経過観察中においても再度の検査に及ぶことも考慮されるべきであった。 レントゲン写真による腹腔内遊離ガス様陰影については、初診時における検甲第一、第二号証のレントゲン写真により腹腔内遊離ガスの存在を判定することは一般臨床外科医にとって困難なことではない。腹腔内に右のような遊離ガスの存在することは異常であり、その原因は胃及び十二指腸潰瘍かまれには虫垂炎による穿孔或いは化膿性腹膜炎によるガス産生菌によるものであり、本件は後者であった。右レントゲン写真及びこれと同じく初診時に撮影されたレントゲン写真(検甲第四、第五号証)によると、消化管内に異常なガス貯留(急性腹膜炎に随伴して発生する消化管麻痺を疑わせる。)が認められ、右各レントゲン写真のみによっても急性化膿性腹膜炎を疑うことは不合理ではなかった。A医師も右レントゲン写真により腹腔内遊離ガスの存在を疑い、このような症状は重要なものと認識はしていたが、他の諸症状、白血球数値等と比較勘案して、なお急性化膿性腹膜炎と診断するに至らなかったものである。 (1)の諸症状及び(3)のレントゲン写真撮影の結果からして、一般臨床外科医師としては急性化膿性腹膜炎と診断し、緊急に開腹手術を行うことは相当であって、医学上不合理なものとはいえない。 ……検甲第一、第二号証のレントゲン写真により腹腔内遊離ガスの存在を判読することは一般臨床外科医師にとっても困難なものでなく、仮に右写真のみでは判読しえない場合は、更に体位、場所、角度等を変えて撮影することにより右ガスの存否を検する方法もあることが認められ、右B証人、A証人の各供述部分は、右C鑑定証人、D証人の各証言、前鑑定結果に照らして採用しえないところであり、他に被控訴人の右主張を認めるべき資料はない。 ……仮に初診時に急性化膿性腹膜炎と診断しえない状況にあって経過観察に付したとしても、前説示のように急性化膿性腹膜炎は臨機に緊急な医療措置を必要とする場合のあるものであり、初診時に同症を疑うべき一部症状が発現していたのであるから、これに対する医療措置を誤らないためにも、細心の注意をもって経過を観察すべきであった。 ……本件のように急激に症状の増進する性質を有する疾患に対する医療措置の適否については、その結果にとらわれることなく検討すべきことは言うまでもないけれども、診断治療に当る医師としては、その業務の性質上、その有する専門的知識経験によって最善の注意義務を尽くすべきものであることに鑑みれば、前記認定の事実からして、A医師において右最善の注意義務を尽くしていたものとは断じ難く、少なくとも初診時におけるレントゲン写真による腹腔内遊離ガスの判読を含めて幸代の症状の把握に過誤が無かったとはいえず、これにより急性化膿性腹膜炎との診断及び同症に対する必要な医療措置としての開腹手術の実行を遅延させ、これが幸代死亡の最大の原因となったのであるから、控訴人らの主張するその余の責任原因の判断に及ぶまでもなく、同医師の過失責任は否定しえないところである。」 |