輸血措置止血措置の遅れ

迅速な止血と適期の輸血


弛緩出血ショック止血措置輸血措置懈怠―医師側敗訴
東京地方裁判所昭和50年2月13日判決(判例時報774号91頁)


弛緩性出血、後産期出血の原因、子宮収縮不全、低線維素原血症、血液凝固障害


 分娩後、子宮の収縮不全を原因とする弛緩出血のためショック状態に陥った産婦に対し、医師としては迅速な止血措置を行うと共に、出血量、血圧数及び一般状態を確実に観察把握の上、輸血適応の状態に達したときには、時期を失することなく速やかに輸血措置を講ずべきであるのに、これを怠った過失があるものとされた事例である。

 (1)亡患者の既往歴は、昭和35年6月原告長女を出産した後、同35年12月に人工妊娠中絶を受け、同36年か同39年までの間に4回自然流産をし、同40年1月、切迫早産の虞れのため1ケ月入院して原告長男を出産した。

 同年7月27日の診察では、子宮口二指開大で分娩に適する状態となつていたが、そのまま予定日が経過し、同年8月10日年前中の診察でも右と同じ状態であつた。そこで同被告は胎児が過熟状態になることを懸念して誘発分娩を勧告し、亡患者は同日被告産院に入院した。

 同日5時25分本件原告次女を分娩し、同5時35分胎盤娩出を見て出産を終了した。

 (2)右児娩出直後子宮収縮作用のあるメテルギンの静注がなされたほか、同じ目的で前記点滴も続けられたが、右胎盤娩出に至るまでの出血量を膿盆に受けて測定したところ約150ccであり、またこの時点では亡患者の一般状態に異常はなかった。

 《証拠略》によれば、分娩終了後の亡患者の状態は助産婦Aが見ていたのであるが、同人は同6時10分頃悪露交換に際し、出血量が通常の場合よりやや多く、血液が少しずつ出ており、腹部を触診すると血液がたまっているのではないかと思われる状態であることに気づき、その旨主治医に連絡したこと、同被告医師は子宮腔内に手を入れて触診し、子宮破裂や子宮頚管裂傷及び胎盤の遺残はないものと認め、暗黒色の流動血を排除した上、30cm四方のガーゼで綿花を包んだ膣タンポンを挿入してメテルギンの静注をし、前記点滴を続けたこと、こうして同被告は助産婦Aに経過を見るように指示して、同産院の地下食堂に食事を取りに赴いたことが認められ、更に右6時10分の時点までの出血量は、少なくとも450ccを超えていた。同6時25分頃、出血がなおも続いていたので助産婦Aは再び被告医師に連絡した。同被告は助産婦Bを応援に頼み、膣鏡診により子宮及び軟産道の裂傷や、胎盤、卵膜の遣残がないことを再確認したが、このとき子宮口から暗黒色の流動血が少量ずつ持続的に流出しており、また血液の性状は黒ずんで凝固しにくいものであることが見られた。同被告は右出血の主たる原因として子宮の収縮不全による狭義の弛緩出血を考え、同6時4、50分から同7時10分頃までかかって約5mガーゼにより子宮膣充填強圧タンポンを挿入した。

 ガーゼタンポンの操作に取掛る時点までの出血総量は、少なくとも650ccに達していたものと推認される。

 血圧は、同7時30分、80/50、同7時35分、80/60、同7時50分、最高50、同8時、50/30という値を示し、更にこの8時頃には膣口内から一部出ていたガーゼタンポンの末端より血液が滴下する状態となった。被告医師としては、右タンポンから血液が滲み出すようなことがあれば子宮膣上部切断手術を行って止血する以外に方法はないと考えていたので、ここに至り右手術に備え、同産院の助産婦宿舎から全部の助産婦を緊急招集し、同院の他の医師にも緊急登院を依頼したほか、血液センターに対してAB型の保存血の緊急輸送を頼んだ。同8時50分に前記血液到着と同時に輸血を開始した。

 右輸血開始後、被告医師、Y、Xの3名の医師は前記ガーゼタンポンを除去し、産道の損傷のないことを確認してからタンポンを再充填したが、このとき流出する血液の量は増加していた。

 この後同9時15分呼吸停止し、同9時25分自然呼吸に戻った。しかし亡患者の一般状態が悪く手術に着手することができなかったので、加圧して敏速に輸血することを図り、一般状態の回復を待った。一般状態は極めて悪くショック状態にあったので、同被告ら医師は手術を開始すべきか否かの点につき考慮したが、心臓が少しでも動いている限り、止血の最後の手段として手術に着手すべきであると決め、同10時10分執刀Y、助手被告医師、呼吸系統の管理Xという役割で、無麻酔の下で子宮膣上部切断術が施された。こうして同10時15分子宮膣上部切断の後、同10時25分心搏70となり、同10時30分呼吸が停止し、人工呼吸が開始され、ビタカンファー、カルニゲン、テラプチク、セジラニッドが相当量投与されたが同10時50分心停止となり死亡した。

 なお、分娩時より死亡に至るまでの出血総量は推定で約2750cc、輸血は2800cc、その他の輸液はアミノデキストランとフィジオゾールで1500ccであり、使用された薬品としては、他にアリナミンF50mgが二度静注され、ストレプトマイシン1gが腹腔内に注入された。

 右の事実によれば、亡患者の死因は主として弛緩性出血による失血である。


 「よって、被告医師の過失の有無につき判断する。

 本件では胎盤娩出から同6時10分までの僅か35分位の間に少なくとも300ccの出血があり、前記ガーゼタンポンの操作に取掛る同6時4、50分頃には合計650ccに達し、その頃既に正常範囲を超える出血を見たほか、なおも子宮から少量の血液が持続的に流出している状態であった、というように、分娩時の出血の中でも特に重大視されている弛緩出血、しかも子宮の収縮不全がその原因として疑われる状態であったのであるから、医師としては、これに対して迅速な止血措置を行うと共に、出血量、血圧数及び一般状態を確実に観察把握の上、輸血適応の状態に達したときには、時期を失することなく速やかに輸血措置を講ずべきであり、これに伴い、血液の性状につき凝固性が疑われるとき、又は多量の出血によって生ずる出血傾向を防止する必要があるときには、線溶阻止剤や線維素原の投与をなし、輸血にしても新鮮血の大量輸血を施すのが当を得た注意義務ということができるとすべきである。

 そこで、本件について検討すると、前示のとおり、同6時10分から同7時25分までの間、メテルギンの静注、子宮内凝血除去及び各種タンポンの実施等の止血措置がなされた後、同7時25分に血圧が70/50と下降しショック状態を呈したのであるが、このショックについては、出血量が前記のとおりであって、且つ他に非出血性ショックと見るべき何らの証明資料もないので、この時点までに亡患者は出血性ショックに陥っていたものと判断することができるから、迅速な輸血措置が施されるべきであった。またその頃既に前認定のように、流出している血液は暗黒色で凝固しにくいようにも見られ、引続き多量の出血があったことからして、血液の凝固性を維持する措置が考慮されなければならなかった。そして、同7時25分以降アミノデキストラン輸液が開始された後、血圧は最高値が80mmHgより上昇せずに、同7時50分に最高50mmHgとなっていることから見ても、前記ガーゼタンポン挿入の操作と併合して、血圧、脈搏等の状態を把握しつつ、輸血の手配がなされていれば最善であったが、少なくとも同7時25分以降は速やかに、いかに遅くとも同8時頃までには輸血が実施されるべきであったことが明らかであって、同8時50分輸血が開始されるも、もはやショック状態の回復には奏効しなかったのであり、被告医師の輸血の手配時期は遅きに失したものであって、同被告には前示注意義務を怠った過失があると言うべきである。また右の点のほかに、線溶阻止剤や線維素原の投与並びに新鮮血輸血について配慮していないことも指摘できる。

 そして亡患者の主たる死因は弛緩性出血であるところ、前記のとおり、本件当時の医学界でも出血死の多くの例が迅速確実なる輸血によって期待される成果が十分確実視される比率で助命できるとされており、また本件では被告医師において輸血手配に支障を来すべき事情の存在も認められないのであるから、右のごとく輸血が適時になされていたならば、亡患者の死は避けられたものと見ることができ、更に上記のような血液の凝固性維持のための措置が加えられたならばその可能性はより増大したであろうと言うことができて、結局被告医師の前記過失と亡患者の死亡との間には相当因果関係があると解すべきである。

 なお前記手術は亡患者の直接の死因となっており、ショック状態の下では手術は行わないのが原則で、まず輸血によりショック状態を回復させる必要があるのは前示のとおりであるが、亡患者は輸血が時期を失したために、手術前に既に極度のショック状態に陥っていたのであるから、手術を実施すべきでなかったとしても、本件ではこの点を過失として捉えるのは適切でなく、また貧血の点にしても、ザーリ65%程度の軽症貧血の場合でも、近年の妊産婦貧血に対する処置から見て、各種の指導がなされた方が望ましかったと言えるが、これらの欠如をもって直ちに本件の出血死と結びつけることはできない。

 また被告医師は、亡患者が昭和40年に扁桃腺摘除術を受けたことに同人の胸腺リンパ体質を疑う若干の徴表的意味を付しているかのように、同本人の尋問結果から認められ、これに関連して昭和42年1月の初診時の問診の有無が原告らから逆に論議されているが、全証拠によるも亡患者が特異の体質により主要な死因を得たのであるとの証明はなく、また右初診時の問診の有無は前段までの以上の認定を左右するまでのものではなく、更に追究検討するまでもないものである。」


 本判決は、被告医師の輸血開始時期の判断の過失の有無を検討するについて、関係雑誌等の文献等で知りうる公知性の強いことであると、分娩時出血の生理的限界、後産期出血の原因、対症措置、輸血開始時期等に関する考え方を、次のように述べ、これらを本件判断の前提としている。

 妊産婦出血(出血性ショック)は、妊娠中毒症と並んでわが国における妊産婦死亡の二大原因となっているが、このうち分娩時の出血でもとりわけ経膣分娩第三期(児娩出から胎盤娩出まで)、第四期(胎盤娩出後2時間)の所謂後産期の多量出血は頻度が高くて重大なものであり、更にこの分娩時及び後産期の出血量の限界については通常多数の場合に胎盤娩出後約1時間までの総量が500mlを超える場合を異常としているが、なお右第三期で330ml以上、第四期で220ml以上、第三、第四期の合計で550ml以上をもって出血多量とするもの、或いは分娩時出血の生理的限界として、臨床的に600mlをもって標準に採るものもないではなく、しかし、概ねこれらの目安により後産期出血への対応策が立てられている。

 本件のような後産期出血の原因としては、(イ)子宮筋の弛緩ないしは収縮不全(狭義の弛緩出血)、(ロ)胎盤の剥離不全又は胎盤、卵膜等の遺残、(ハ)軟産道の損傷、(ニ)血液凝固障害等、原発性(本態性)及び続発性(症候性)に分類される種々の要因があり、またそれぞれの要因についても個別的多様の性質、特徴、根源があるので、これに対する処置としてはまず第一に出血原因の的確な診断が必要不可欠視されている。

 そして、主たる原因が子宮の収縮不全にあると見た場合には、第二に迅速な止血の対症措置として、速効性の子宮収縮剤の投与、子宮体の双手圧迫、子宮内の凝血塊除去等の施術が行われるが、これに伴い第二の措置として、気道及び血管を早目に確保して、酸素補給、輸液及び輸血の実施が要求される場合が多いと指摘されている。

 この場合の輸血の重要性は、特に出血が死につながる危険を持っていることから、ショックとの関連において次のように説明される。

 即ち一般にショックは心拍出不全、有効循環血液量の減少、末梢血行不全により特徴づけられ、その結果低血圧を伴う症候群を言うと理解されているが、産科領域でショックを起し易い場合を大別して出血性ショックと、羊水栓塞症や仰臥位低血圧症候群等の非出血性ショックの二つに分けた場合、臨床上は明らかに出血性ショックの例が多い。このとき軽度の可逆性ショックの場合には、末梢血管系の収縮及び心拍出数の増加現象が起り、これに加えて止血及び輸血措置が採られると生体の機能はやがて正常に復するが、適当な時期に適当量の輸血が行われないと、血管系の総容積と循環血液量との間に不均衡を生じ、不可逆性のショック状態が惹起される。そして、およそショックの程度は有効循環血液量の減少度と比例していると言うことができるから、ショックからの回復にはこの有効循環血液量の不足を速やかに克服すべく、右のように適当な時間内に必要量の輸血が施されることが要請されることになる。また良好な結果を得るためには、ショックが発生してから2時間以内に輸血を行うことが必要で、これを経過すると不可逆性ショックに陥ることが多いと言われており、更に一度の大量出血がある場合でなく持続性の出血の場合には、対処法に留意しないと不可逆性のショックに陥る例が多いことが挙げられている。

 ところで、出血に対する治癒法としては、後記のようになるべく各種輸液によってこれを補うという考え方もあるが、輸液のみでは循環血量が増加するだけで、血色素濃度が薄められ、酸素交換や血液凝固性にとって不利な状況となり、また出血傾向が起き易い等の副作用があるので、医師としては輸血開始時期を適切に捉えなければならない。

 右輸血開始の判断としては、出血量と血圧数及び一般状態が目安となる。即ち、成人女子の血液量は平均60ないし70ml/Kgであるが、出血量が血液量の15%まではショックは起らない。出血量が15ないし20%で1000ml程度に達すると軽度のショック状態を呈し、25ないし35%で1750ml程度に達した場合には、中等度(顕在性)のショック状態となり、最高血圧は90mmHgより70mmHgに低下する。出血量がこれを超えて40%で2000ml程度に達すると、最高血圧は70mmHgを割り、重症ショックであり、更にこれを超えると、危篤ショックで、最高血圧は40mmHg以下になる。従って、出血量において1000ml以上になったとき、或いは最高血圧が70mmHgに低下するときは輸血適応として迅速に対応すべきであるが、出血状態が続く中で最高血圧が90mmHg以下を示した場合にも輸血を選ぶのが相当ないし必要である。

 ところで、既に記したように、所謂弛緩出血とされている中には、低線維素原血症或いは無線維素原血症による血液凝固障害を原因とするものが含まれているが、これに対しては線溶阻止剤や線維素原の投与及び新鮮血の大量輸血が必要である。また血液凝固障害は多量の出血によっても生ずることがあり、この凝固障害の傾向が起きることにより更に出血傾向を増大させるから、この点でも右の処置が要請される。そして産科領域におけるこれらの血液凝固障害は特に注目を引いているから、線溶阻止剤、線維素原の用意もまた要請されると共に、本件事故当時薬剤の入手も可能な状態にあった。

 以上のように、産科出血では輸血は重要な意義を有するが、二、三の調査では出血死の場合、約半数が輸血を全く受けることなく、又は輸血量が少なきに過ぎる状態の下で死亡していることが指摘されているほか、このような場合の死亡の可避性については、或いは殆ど全部を又は過半数を救急できたとする報告もあり、特に血液輸送の遅延や手持血液量の不足を致死の有力な実際的原因として挙げている向きがある。

 なお輸血には血清肝炎の問題があって、昭和40年、同41年はその発生のピーク時であり、また昭和42年当時の血液の供給体制も不備な状況にあったことから、血液に代わるものでまず体液のバランスを維持するということが医師の通念であったが、前示のような理由から、産科医としては輸血に踏切るタイミングも念頭に置くべきであるとされ、また産科出血に際して行われる輸血は生命に関係し、緊急を要する場合が多いので、さしあたっての問題はその必要量を確保することであると唱えられていた。

 後産期出血の措置としては、既述の方法によっても止血しない場合には一時的な処置として、子宮及び膣内にガーゼの強填タンポンが施されるが、最後の手段としては子宮摘出又は子宮膣上部切断の手術が考えられる。しかしこの場合、ショック状態の患者に手術の侵襲を加えると生命の危険が大きいので、一般にまず輸血してショック状態より回復させてから後になすべき必要があり患者がショック状態にある間は原則として手術的操作は行なうべきでなく、但し出血が継続し、手術以外には他に採るべき手段がない場合はこの限りでない、と言われる。

 貧血については、その判定の基準となる血色素量の限界が統一されていないが、大体軽症を60ないし70%ザーリ、中等度貧血を50ないし60%ザーリ、重症貧血を50%ザーリ以下としているものが多い。ところで、貧血妊婦の割合につき、62%ザーリ以下が妊娠初期で約5ないし6%、妊娠末期で約11ないし17%見られるという調査があるが、近年妊婦の貧血に対する関心が高まり、軽症例に対しても増血剤の投与及び食餌の指導が進められるようになった。一方、産科ショックの予防措置として、分娩や手術前に貧血を発見し予めこれを処置しておくことが挙げられており、妊娠貧血等の患者はショックに陥り易く、また耐えにくいとされる。

 以上の一般的認識は、本件死亡事故のあった昭和42年8月に近接した前後の時期における産科医学界の関係雑誌等の出版物によっても、注意深い医師にあってはたやすく検認できる知識であり、特に新知識にかかわる事項とも認められず、むしろ同学界における公知性の強い事項であったと推認され、被告医師の本人尋間の結果により明らかな同被告の十分に高度な学歴、臨床歴並びに現勤務場所における責任ある地位に照らせば、同被告においてこの種の知識に欠け又は知識の入手に困難があったとは到底認められない性質のものである。