医療上の不措置と期待権の侵害


適切な医療を受ける機会を奪われた場合の慰謝料請求事件―請求認容(200万円)
最高裁判所第二小法廷平成12年9月22日判決(判例集未登載)


期待権の侵害、医療水準、医療上の不措置の責任


 本判決の判断の前提とした原審の認定した事実は、次のようなものである。

  1. 平成元年7月早朝午前5時35分ころ、患者(男性)が突然の背部痛で、自分の運転で上告人病院の夜間救急外来受診。触診で心窩部に圧痛が認められたが、聴診では心雑音、不整脈等の異常認められず。担当医師は、症状の発現、その部位及び経過から第一次的に急性膵炎,第二次的に狭心症を疑った。
  2. 鎮痛剤を注射後、病室に移動させ、急性膵炎の薬を点滴静注した。病室に移って5分位後に、患者は突然「痛い、痛い」といい、顔をしかめながら身体をよじらせ、ビクッと大きく痙攣した後、すぐにいびきをかき、深い眠りについているような状態となった。付添いの家族の知らせで向かいの外来診察室から担当医師が駆けつけ、ほどなく呼吸停止、脈の微弱があり、心マッサージを始め、午前6時ころ集中治療室に収容し蘇生術を試みたが、死亡が確認された。
  3. 診察当時、心筋梗塞は相当程度に増悪した状態にあり、点滴中に致死的不整脈が生じたもので、死因は、不安定型狭心症から切迫性急性心筋梗塞に至り、心不全を来したことにある。
  4. 担当医師は、本件診察をするにあたり、触診及び聴診を行っただけで、心電図検査を行うこともせず、狭心症の疑いを持ちながらニトログリセリンの舌下投与もしていないなど、胸部疾患の可能性のある患者に対する初期治療として行うべき基本的義務を果たしていなかった。
  5. 本件では、患者に対して適切な医療を行った場合には、患者を救命し得たであろう高度の蓋然性までは認めることはできないが、これを救命できた可能性はあった。

 「本件のように、疾病のため死亡した患者の診療に当たった医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、右医療行為と患者の死亡との因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である。けだし、生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されたものということができるからである。

 原審は、以上と同旨の法解釈に基づいて、担当医師の不法行為の成立を認めた上、その不法行為によって患者が受けた精神的苦痛に対し同医師の使用者たる上告人に慰謝料支払いの義務があるとしたものであって、この原審の判断は正当として是認することができる。」


 医療上の過失と因果関係があれば、逸失利益と慰謝料の全損害について責任が及ぶ。過失ある行為があるが、その時、死ななくてすんだかもしれないが、病気の状態からすると、若干の延命利益より見込めないとすると、その期間に応じた逸失利益と慰謝料にとどまる。それでは過失があるが相当な期間生存の見込みの立証はないけれども、少なくともその時に死ななくてもすんだであろうという場合はどうなるか。最高裁判所はいままで、この期待権が認められるかどうかについて判断を示してこなかったが、前記判決は、期待権という言葉は使っていないが、これを認め、慰謝料だけは生じるとしたものである。

 この、期待権というのは、人工妊娠中絶後の死因不明死事案についての福岡地方裁判所昭和52年3月29日判決(判例時報867号90頁)によるとわかりやすい。市民的感覚をもってしても納得が得られる考えである。

 「……十分な患者管理のもとに診察・診療行為さえなされていれば,ある結果も生じなかったかもしれないという蓋然性がある以上,十分な患者管理のもとに診察・治療をしてもらえるものと期待していた患者にとってみれば,その期待を裏切られたことにより予期せぬ結果が生じたのではないか,という精神的打撃を受けることも必定というべく,右にいう患者の期待(これを期待権といってもよい)は,診療契約において正当に保護されるべき法的権利というも過言ではない。そうである以上,右期待を裏切られた場合にはそれを理由に慰謝料の請求のみは可能となる理であり…(慰謝料100万円認容)」)。

 さらに胆のう癌死亡事案についてであるが、東京地方裁判所昭和51年2月9日判決(判例時報829号83頁)は、次のようにいう。

 「…死期を早められたことにより,精神的苦痛を被ったことはいうまでもない。しかし,患者が被告の債務不履行によって被った精神的苦痛がこれのみにとどまると考えることは早計である。即ち,患者としては死亡の結果は免れないとしても,現代医学の水準に照らして十分な治療を受けて死にたいと望むのが当然であり,医師の怠慢・過誤により,この希望が裏切られ,適切な治療を受けずに死に至った場合は,甚大な精神的苦痛を被るであろうことは,想像に難くない。本件の場合は,前認定の通り患者が被告に対し精密検査を受けることを希望したのにかかわらず,この希望は被告によってついに無視され,適切な治療を受けることなく死期を早められたのであるから,患者は前記債務不履行により甚大な精神的苦痛を被ったものと認めるのが相当である…(慰謝料100万円認容)」