「高齢社会と医療」
−財団法人医療研修推進財団  第10回講演会より−
国立長寿医療センター総長
  大島伸一先生
大島伸一先生 写真

 ご紹介いただきました大島でございます。本日は第10回というような記念の会にお呼びいただきまして、心から感謝申しあげたいと思います。今日お話させていただくのはタイトルにありますとおり「高齢社会と医療」ということですが、もともとは私は泌尿器科医で腎移植を専門にやってきまして、どちらかというと高度専門医療、先端医療をずっとやってきました。もちろん泌尿器科ですから、排尿障害やそういったところでお年寄りを診させていただくということはよくありますが、どちらかというと切った貼ったの方が好きな体質でありまして、お年寄りの尿が出ないとか、夜、何回も起きなければならないというようなことを聞いているうちにいらいらとしてくるほうで、とても私には高齢者医療などは向いていないと思っていたのですが、それがどういうわけかこのような立場になってしまいました。このような立場になったころから私自身も夜中に何回も起きるような状況になってきまして、偉そうなことを言っていても人は必ず歳をとって、歳をとれば必ず体は衰弱してくるものだなということを実感しているこのごろであります。
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 私どものセンター、国立長寿医療センターと聞いてもそれはいったい何だと思われる方もいるかと思います。ひどい場合には、長寿医療センターを鳥獣センターと間違える方がいまして、困ってしまいますが、国立がんセンターやいわゆる大阪にある国立循環器病センターと同じ国立高度専門医療センターとして第6番目にできた最も新しいセンターで、2004年3月に発足いたしました。
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 格式だけは非常に高いセンターでありまして、開設記念式典には常陸宮殿下、妃殿下のご来臨をいただきまして、時の厚生労働大臣である坂口大臣、愛知県知事、とそうそうたる人たちに集まっていただいて開設記念式典を行っていただきました。
 場所は名古屋駅から東海道線で豊橋の方に向かいまして、快速で約15分くらいの、ちょうど田舎と町の中間くらいの所にありまして、非常に環境の良いところであります。
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 そもそもは、1980年に今後の高齢社会を想定して、日本学術会議が国立老化・老齢病センターの設立を勧告したのが始まりです。これを受けて1987年に長寿科学研究組織検討会ができ、ここでセンターの基本構想を作りまして、準備段階として長寿医療研究センターを国立中部病院、今の長寿医療センターの前身ですが、そこに持ってくることが決定されたのであります。このときには、それまでのナショナルセンターであるがんセンターは東京、循環器病センターは大阪ということで、全国が誘致合戦を始めまして、最後にのこったのが京都、滋賀と愛知県の戦いで、最終的に愛知県が獲得したと伺っています。その後、1999年にナショナルセンターにすることを正式に公表しまして、2001年に森亘先生が座長で、長寿医療に関する基本計画検討会で、具体的にどんな業務をどのような組織形態で行うのかということをまとめられまして、2004年3月に発足ということになった次第であります。
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 わが国の高齢化の姿ですが、2005年に人口がピークを迎え、それからどんどん人口が減ってきて、今は下降線に入っております。そして今が2005年と2010年の間ですが、65歳以上の人口の全体に対する比率を高齢化率と言いますが、この高齢化率が今22%で5人に1人が65歳以上人口ということになっています。そして、2045年とか2050年になりますと、高齢化率が35.7%ということになりますから、3人に1人以上が65歳以上人口ということになるわけであります。日本は人口減少があってそして高齢化が進み、高齢化が進んで少子化が同時に来るという高齢、少子、人口減少という方向に急速に向かっているところであります。
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 100歳以上の百寿者がいったいどれくらいなのかというのを見てみますと、平成19年9月1日の時点で23000人を越えています。3年間で1万人増えて、10年前を見てみますと3倍になっています。ものすごい勢いで100歳以上の方が増えています。昔愛知県で、金さん銀さんという双子の姉妹が100歳を超えたと言って大騒ぎになり、日本中に金さん銀さんブームが巻き起こったのですが、今やもうそこら中に金さん銀さんだらけでして、100歳で大騒ぎしていたらとんでもないことになってしまうという状況にあります。100寿者では85%が女性で、女性の占める割合が非常に高いのが特徴的です。男性の100歳以上は15%にすぎませんが、ほとんどが非常に元気です。一方女性の100歳以上は多いのですが、元気な方というのは非常に少なく、寝たきりの方というのも非常に多いというのが実態です。いったい何故なのか。これもよくわかりません。
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 人口構造を俯瞰して見ますと、1950年の時にはいわゆる土台のしっかりしたピラミッド型ですが、2000年ではずん胴型で、2030年になると逆ピラミッドになってしまいます。こういった人口構成ですから少ない生産人口で高齢者を支え日本の活力をどう維持していくのかが大問題であると言われるわけです。
 いずれにしましても、日本は世界で最初に何処も経験したことのない高齢社会に一番に突入したわけです。その特徴を見てみますと、先ほど申しました高齢化率が22%世界で一番です。世界で二番は確かイタリアで、三番目がドイツ、どういうわけか第二次世界大戦の敗戦国ばかりが高齢化が進んでいるということです。更に日本の特徴を見てみますと、女性の平均寿命が世界一位、男性は世界二位ということです。男性の世界一位、二位、三位というところを争っているのは日本とアイスランドと香港という国ですが、アイスランドと香港という国を見てみますと、日本とは人口の規模がまったく違います。それから高齢化のスピードです。高齢人口が7%になると高齢化社会と言い、14%になると高齢社会と言いますが、7%から14%になるまでに何年かかったかというのが高齢化のスピードです。わが国は、これが24年と桁外れに早いのです。そして健康寿命、健康寿命というのは平均寿命から障害や病気の期間をひいたもので、これも世界一位です。
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 世界の平均寿命の上の方と下の方をみてみますと、日本は82歳で一番ですが、平均寿命80歳以上は圧倒的に先進国です。一方で中央アフリカのようにいまだに平均寿命が36歳とか37歳という国もあるということは軽く考えるべきではないだろうと思います。
 先ほど申しました高齢化のスピードですが、日本は1970年に7%に達して、1994年までの24年間で高齢社会を達成してしまいました。これを他と比べて見てみますと、フランスの場合には1865年に65歳以上人口が7%に達していますが、14%に達したのは1979年、実に114年間かかっています。スウェーデンが82年間、もっとも短いドイツが7%に達したのは早かったのですが、7%から14%になるのに42年間です。先進国の中ではドイツが最短です。このドイツと比べてみても日本の24年間がいかに短いかわかります。このようにヨーロッパでは高齢社会に向かって準備をする時間を充分にもって向かってきたと言えるのではないかと思います。高齢社会というのはある意味で人類や、国の究極の目標であるとも言えますが、こういった社会の創造に日本の医療はどんな貢献をしてきたのかです。
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 日本はWHOから世界一位の医療制度と認定された制度を構築してきました。世界一位というのは何か、一言で言ってしまえば健康寿命が世界一位、これですべてが言い尽くされるのではないでしょうか。もちろん乳児死亡率も世界で一番少ないといったようなこともありますが、これで言い尽くされると思います。しかもその世界一位を作り出すのに、非常に少ない費用でそれを実現したために制度が世界一と評価されるわけです。
 ではどれくらいお金を使っているのかというところで、いつもこれが出てくるのですが、アメリカがGDPの15.3%、つい2,3年前までは先進国ではイギリスが最下位で、その上にいつも日本がいたのですが、この2年くらいでイギリスに追い抜かれてしまって日本が先進7カ国の中では8%と最低になりました。OECDの中でも22位ということですが、それでも年間33兆円かかっています。このうち公費負担の割合ですが、公費というのは税金もありますが、保険料も公費の中に入っており圧倒的に公費が多い。アメリカは公的保険制度がなく、徹底した格差社会なので貧困層では医療も受けられなくて、のたれ死にを許している国というような側面があることは間違いないと思いますが、一方で日本よりも額としてははるかに多い税金を医療に投入している国であるという事実も知っておく必要があるかと思います。最近医療崩壊で医師の絶対数が少ないとか、分野別の医師が少ないとか色々な議論がされていますが、確かにOECDの中で日本の医師数は27位、下から2番目か3番目くらいの位置に属しています。こういう比較をすれば絶対数は確かに少ないのですが、これだけで本当に少ないのかどうかという議論は簡単にすべきではないと私自身は思っています。
こういった背景の中で高齢化が急激に進み、進んできた結果いったい何が起こってきているのか、今医療の中で色々な問題が噴出してきていますが、急激な高齢社会、高齢者が増えたことによって今までの医療制度や医療のあり方では変化に対応できず、矛盾やひずみやねじれが噴出してきているのだと思います。具体的には高齢者だけにスポットを当ててみても、介護疲れで84歳の妻をいわゆる介護殺人というような悲惨で生々しい問題、あるいは、認知症の方が徘徊で行方不明になり死亡・不明905人、905人という数が多いのか少ないのか、今や認知症が170万人とも180万人とも言われていますが、急速に増えています。社会としてこういった問題をどう扱い、どう対応していくのかということが進まない限り、ちょっと目を離したすきに行方不明になって、気が付いたときには死体となって現れるというようなことが日常化してくる可能性があります。
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 これは中日新聞に載っていたのですが、将来が不安であるということを訴えている高齢者が全体の3分の2もいます。つい最近の新聞報道でもいわゆる孤独死、誰にも看取られずに1人でお亡くなりになってしまったという孤独死、もちろん高齢者だけではありませんが、圧倒的に高齢者が多く2万人を超えるという報道がなされました。この2万人という孤独死の数をいったいどういうふうに考えたらいいのでしょうか。又、自殺者が3万何千人というのはもう毎年のようになっています。よほどのお金持ちなら別でしょうが、よほどのお金持ちというのは24時間365日介護士か看護師を身近において24時間365日のケアをさせることができるというくらいのお金を持っているというお年寄りですが、それ以外の人では誰もが皆孤独死の可能性があり得るわけで、いよいよ他人事ではなくなってきていると感じる結果がこういった数になって出てきているのではないかと思います。
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 これは私どものセンターの荒井が調査をした結果ですが、「今後できるだけ長生きしたいと思いますか」という質問に対して、「あまり思わない」36%、「まったく思わない」5%で41%の人があまり長生きはしたくないと答えています。私が驚いたのは、20歳代から70歳代まで同じように均等にアンケートをしたのですが、20歳代から70歳代までほとんど同じ答が出てきていることです。60歳代、70歳代で「あまり思わない」が多いのはよいのですが、20、30歳代でも同じような比率であったことに非常に驚きを感じています。
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 これも同じ調査の質問ですが、「歳をとって高齢者になることに不安がありますか」に対して「かなり感じる」「やや感じる」で実に83%の方がそれを感じています。この事態、こういった状況をどのように考えたらいいのか。これが世界で最高の長寿社会にトップランナーとして突入した国かと考え込んでしまいます。本来ならどこもやったことがない社会を作り上げたのだから胸を張って自慢して誇るべき状態かというと実態はどうもそうではなく、むしろ不安の方が大きい。これはいったいどういうことなのか軽く考えているとえらいめにあうのではないかと思っているわけです。
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 老化というのは歳をとってどんどん衰弱していくわけですが、高齢者が増えますと老化という衰弱のプロセスの中に病気が加わってきますので、最近よく言われるメタボリックシンドロームだとか慢性疾患の頻度が増えます。そういった肉体上の背景があるところに急性増悪をすることもよくあるわけですが、したがって高齢者では慢性疾患だけではなくて急性疾患も増えます。そして、何よりも終末期と死亡が増加をするということは確実でありまして、こういった状況に対して医療界、看護界、介護界はどういった答を出すのかということが求められているのであります。
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 年間死亡者数だけを見てみますと、今が約110万人くらいです。そして2038年とか2040年くらいには1年間に170万人くらいがお亡くなりになると予測されています。死の問題、終末期医療をいったいどうするのかという議論やレポートを読みますと、人の死の問題ですから、どうあるべきかという真剣な議論が行われて、尊厳ある死をどうすればよいのかと大変な問題になっています。現実は110万人の方が亡くなられていますが議論の結果提示されているような尊厳のある亡くなり方になるようになっているのかということを考えますと、現実はむしろ理想とはどんどん離れていっているような気がしてなりません。私も立場上高齢者の介護とか、高齢者医療はどうあるべきかというような会合によく出ますが、そういった中で現場に直接携わっているような先生方や看護師、あるいは介護士の話を聞いていると理想と現実の違いだけではなくて、むしろそのギャップはどんどん広がりつつあって、尊厳ある生を守ることもできないのに尊厳死どころではないといった悲痛な話がよく出てきています。どうしたらよいのか、という話になるといつも壁にぶつかって「こんなのは医療者だけで考えて答の出る問題じゃない」と皆がため息をついて、立ち止まってしまうというのが現状で、こういった現実が確実に進む中で死亡者の数だけはどんどん増えていっているということであります。
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 人は遅かれ早かれ自立できなくなります。これは良い悪いとかの理屈の話ではなく、亡くなる前には必ず誰かのお世話を受けなければなりません。それが長いか短いかだけです。ぴんぴんころりという生き方が理想だというと反対だと言う方はあまり多くないと思いますが、私は寝込んでから2週間、これが超エリートではないかなと思っています。何故かというと2週間というのはお別れの時間が十分にあって、しかも周りから嫌がられず、惜しまれて良い思い出だけが残るからです。寝込んで1ヶ月を超えると少しずつ周りの雰囲気が変わってきて、3ヶ月になるともうはっきりしてきます。家族はへとへとに疲れ切って、家庭はほとんど崩壊状態、酒などを飲むと「いい加減死んでくれないか」というようなことを生々しく言うようになってきます。こんなことから私は寝込んで2週間、これが本当の超エリートだと思っているのです。人は産まれたときは自立できませんし、子どももお年寄りも放置すれば間違いなく死にます。しかし子どもへの責任、親が子供の面倒をみるというのはたぶん生物学的に刷り込まれているのだろうと思いますが、年寄りの面倒をみるというのは生物学的には刷り込まれていないのではないかと思えてならないのです。そうであれば意図的、意識的にいわゆる人間の知性でもってそういったものを作り上げていくという作業、すなわち教育をしていくしかないと思います。
 人間というのはたとえ一人前になっても一人では生きてゆけませんから、生涯をとおして人の支援は必要ですが、産まれたときは100%必要です。亡くなるときにも孤独で誰もいないところで死ぬというのはとてもたまらないなと思います。私は非常に寂しがり屋だということもあるかもしれませんが、一人で死ぬことを考えるとたまらないので面倒かけるのは申し訳ないけれど、誰かに看取ってもらいたいという気持ちはよくわかります。
 高齢者が増えれば人は体が弱ってくるわけですから要介護だとか要医療というややこしいことを言うまでもなく手間とお金が余分にかかります。そして個人的負担の限界は必ずきますから、はみ出した分を社会としてどう対応するのかということが求められます。
 このままいけば確実に国民医療費は増えます。お年寄りが増えれば要医療、要介護が増えますから当然です。今は金詰まりの状態ですから医療費の総枠を決めるところからはじまります。そうなれば要医療、要介護に対する医療、介護が必要な人に充分に行き渡らなくなるのは当然です。今、その大きなジレンマに日本は陥っていると思います。
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 高齢者が増える、財には限界がある。しかし、何とかしなければならないというところで医療にも大きな改革が求められています。今までの医療は完全治癒、早期の社会復帰、そして救命、延命を目標にしてやってきました。若い人を対象に考えれば社会にとってもこれは非常に大きな価値であったわけです。ところがお年寄りになりますとよく言われるQOL、生活の質のレベルを落とさないことの方がむしろ大事で、そして社会復帰というよりはむしろ生活復帰、生活のレベルが維持できて自分の残された時間にやりたいことがやれることの方が大事になります。そしてそのときがきたら一分一秒でも長生きすることより、納得のいく、満足のできる死を迎えることができるように、支援するような医療、あるいはそばに寄りそうような医療が求められます。
 今までの日本の医療は急性期型の疾患に対する医療でした。このような医療は社会にとって大きな価値であった産業の成長とその進歩発展を追及してきた時代に合致していた医療でもありました。それを支えてきたのが国民皆保険制度を背景にした病院ですべて完結する医療です。ちょっとよくないたとえかも知れませんが、社会人としての責務を一時停止して社会から隔離された病院にお預かりして、そしてお治しして又、社会へ帰す、中身はずい分と違っていますが構造としては刑務所に似ている。こういった医療の提供体制を完成させました。そんな医療の中味は徹底した専門分化の医療で、これもお年寄りに対する医療というよりはむしろ成年を、できるだけ早く社会にお帰しするという医療によく合致しているものです。しかし、これだけ高齢者が増えてきますと、このような医療体制では限界があることが見えてきて、いろいろな矛盾や問題も露呈してきたわけです。
 いつでもどこでもお金の心配をせずに医療を受けることができるという制度と何でも科学で解決できるはずだという科学至上主義ですなわち、未解決の問題があるとすれば、それはまだ科学が未熟だからもっと科学を充実させて推進させれば将来には解決できるのだという考え方では通用しなくなってしまいました。高齢者が増えたということでなぜこんなことになるのかと考えると、これはきっかけであって日本の医療提供体制の構造的な問題が浮かびあがってきます。
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 本来であれば医療を提供する体制というのは、必要とされる医療があって、それに合わせて構築されなければなりません。要するにその時代時代に求められ必要とされている医療とは何なのか、当然30年前50年前に必要とされる医療と違って当たり前です。違って当たり前であればその必要な医療に対して社会資源である人、もの、カネをどう投入していくのかが、考えられなければなりません。まず需要があって供給があるというのはどこの世界でも当たり前の話ですが、日本の医療に限ってはそういった考え方がとられてきませんでした。なぜこんなことが起こったのかを考えていくと、日本の医療制度というのは足らないものをどうやって補っていくかという考え方できたということがあります。足りないものを補え補えという形でいくわけですから、全体の中で何が重要だとか、どちらに重点的に配備すべきかというのは多少のひずみや矛盾が出ることはあっても、飽和状態になるまではそのような矛盾が噴出して大問題になるというところまではゆかないわけです。もともと全てが飽和状態になるということは不可能ですが、その前に財政問題の方が先に限界にきてしまいました。本来であればまず需要があってその需要に合わせて社会資源をいかに投入するのかという設計をして、それを制度やシステムで補っていく、あるいは保障していくというのがあるべき姿だろうと思うのですが、これがありませんでした。
 人すなわち医師の養成は大学病院にお任せできました。諸悪の根元というように言われる医局制度というのはいまだに機能していますが、北海道から九州まで各大学に医局が30くらいはあり、80大学ありますから2000以上の医局があるかと思いますが、どこへ行っても医者が足りていますと言う医局は一つもないと思います。2000以上のどの医局も人が足らない、人が足らない、ずっと慢性的に人が足らないと言い続けています。しかし日本で何が問題になっているかというと産婦人科医が足らない、小児科医が足らない、救急医が足らない、麻酔科医が足らない、とむしろ分野の偏在が大問題になっています。一体、医師が足るとか足らないといった規準はどこにあるのか疑問がでてきます。答えはすでに述べたとおり難しいことではなく現場ではどんな医療がどれだけ必要なのかということをきちんと把握して、どの分野どの地域にどんな能力を持った医者をどれだけ配置すれば良いのかを決めればよいのです。少なくとも大学はそんなことはまったく考えてこなかったし、それを考えてきたところはどこにもありません。だから正確にはわからないのです。地域医療計画は地方自治体の責任ですが、病床をどうするかということしかやってこなかった。第5次の医療法改正では人、もの、といった医療資源の配置を考えた医療提供体制、地域医療計画を作らなければいけないと定められてきていますので、これからは、各県に求められる役割と、責任が大きく変わってくるはずです。
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 医療需要というのは人口構造によって大きく変わります。お年寄りが増えるのと若者ばかりの時とではまったく病気の種類が違います。そして、科学技術はどんどん進歩しますから、技術が進歩すれば当然医療の中身も変わります。それから国民の意識、権利意識、医療の理念、あるいは財政、制度のあり方によっても変わります。財政の状況が医療需要を決めるのはとても健全とは言えませんが、現実にはよくあることです。
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 例えば科学技術の進歩についてですが、私は泌尿器科医ですが、1970年に医者になってから今までにびっくりするような技術変化をいくつも経験しています。例えば腎不全です。腎不全になりますと私が医者になった当時では100%亡くなっていました。腎不全と診断されたらガンよりも確実な死の宣告だったわけですが、今は死にません。透析と移植で20年、30年生きられるというのが当たり前の時代になっています。尿路結石は、私が医者になったとき、当時は泌尿器外科医として入門の開腹手術でした。今では尿路結石でお腹を切って結石をとるというような治療法は完全に消えてしまいました。体外衝撃波で石を割る、あるいは内視鏡ですべてとってしまいます。腎ガン、前立腺ガンの手術は中級上級の難しい方の手術でしたが開腹手術から、時々社会をお騒がせしている内視鏡による手術にかわってしまいました。開腹手術が、もうほとんど消えてしまったのです。1970年から今までの泌尿器科を見ただけでもこれだけ大きな技術の進歩というのがあります。このような技術の変化は当然、医療需要に大きな影響を与えます。
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 医療の理念がパターナリズム、要するに父親が子どもを見るようにも医者が患者さんのことを思ってすべて決めてやるのだという考え方であった医療から大きく変わりました。
 患者さんにインフォームドコンセント、すなわち患者さんの置かれている状況をきちんとお話をして、そして最後は自分で決定できるように医療側と患者とが共同で医療に向かうというパートナーシップの医療が今の医療です。こういった医療に対する理念のあり方の変化も医療の需要を変える要因になります。
 このように医療需要が大きく変化している中で、高齢者の増加とお金の行き詰まりが重なって新たな医療提供体制を構築せざるを得なくなってきました。すでに変化は始まっています。変化は病院で完結してきた医療を地域全体でカバーするという医療へという方向 への変化であり、これは確実です。国も医療の提供のあり方をその方向にもってゆくように医療制度を整備してきています。一番遅れているのは医療関係者かも知れません。地域での受け皿を作るために十分な動きをしているようにみえませんが、戸惑っているというのが現状かと思います。
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 地域完結型の医療というのは、今まで病院がすべてを見てきた生から死までの医療を地域全体で見るようにするということです。病院は病院にしかできないことにできるだけ特化してゆく、そして地域の医療、介護、福祉のすべての関係者が連携をする。かかりつけ医、在宅医から専門医、あるいは開業医、診療所、病院まですべてが連携して、連携しながら切れ目のない継続的な医療を、必要な時に必要な場所で必要な医療が受けられる体制を作っていくということであります。
 すなわち関係者のすべてが同じ目標のもとに、お互いが役割分担をして、情報交換のシステムとを作り上げてネットワーク型の医療を展開してゆくことです。
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 医療提供のあり方は、昔は医者と患者さんの一対一でした。それが病院という組織になってくるとそれぞれの役割をもった専門家が集まってチームを組んでやらなければなり立たなくなりました。これからの医療はそれだけではだめで、お互いが地域全体の中でそれぞれの役割をきちんと果たして連携をしてゆくというネットワーク型のシステムとしての医療提供のあり方に変わってゆきます。このような医療の変化が求められるが、そんな日本の高齢者の状況、高齢社会の状況というのは今後どうなってゆくのか、もう少し具体的に見てみます。
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 2015年問題と言われるのですが、いわゆる団塊の世代が、2015年には65歳以上になってきますが高齢者人口で約3500万人になり、認知症が250万人以上に増えると言われています。認知症というのは65歳以上で約5%です。80歳以上になると20%ですが、5人に1人が認知症を発症するといわれますから500万人以上になるとも言われています。そして、高齢者の老老所帯が1700万所帯、そのうち約570万所帯が独居所帯です。こういった社会を想像していただくと、いったいどういう社会なのかということがおわかり頂けるだろうと思います。こういう状況の日本の国がいったいどういう方向へ向かおうとしているのか、いったいどうなるのかということですが、格差社会とか色々なことを言われていますが、これはどうも他人事ではないぞということになってくるわけです。政治の世界は私にはよくわかりませんが、社会保障、社会福祉の問題、あるいは医療の問題を巡って大きな緊張状態が出てきているのは間違いありませんので、徹底的に追及して頂きたいと思っているところであります。
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 小泉首相が平成16年10月に二期目の政権の時の所信表明演説の時に、長生きを喜べる社会の構築ということを所信表明で出しました。私はこれを見て、さすが小泉さん、すばらしいキャッチフレーズだなと思い、3回くらい読んだのですがどうすれば長生きを喜べる社会になるのか全然わかりませんでした。経済成長、産業振興、そして医療の場面でも新しい技術開発の推進をすべきと言っているのですが、それがどうして長生きを喜べる社会につながるのか私にはどうしてもわかりませんでした。文句を言っていても仕方がないので長生きを喜べる社会という素晴らしい言葉だけはもらって私なりに考えてみました。
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 長生きを喜べる社会というのは少なくとも絶望感を与えない社会でなければならない、そして平均寿命と健康寿命の差の短い社会、できるだけこれを短くしていく、そして産まれてきて良かったと死んでいける社会、お題目だけ並べている感じでどこが違うんだと言われそうですが、実現のための方向は見えてくると思います。
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 では絶望感を与えない社会というのはどんな社会かというと、命への不安、生活への不安、生き甲斐への不安に何らかの答を用意できる社会です。まったく答がないと絶望するしかありません。医療、介護を必要とする高齢者に最低これだけは保証します。少なくとも元気な人から元気を奪うようなことはしません。そして自信と誇りをもって次世代に継承できる社会、をどのように実現するかです。これだけ高齢者が増えてきますと国でやれること、自分でやれること、あるいは家族がやれること、これらを全部合わせても限界があります。自助、共助、公助でも足らないということになればどうするかというと、昔は日本の中にあった互助、いわゆるお互いさま、という地域文化を作るしかないと思います。公的な枠組みから外れたところで、地域の中でお互いがお互いを支え合っていくような社会を作る。おそらくそれしかないだろうと私は思っております。
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 要するに高齢者を切り捨てない国にしなければいけないことです。繰り返しになりますが、昔で言うおせっかい、お互い様という、昔あったこういったコミュニティーをもちろん昔のままである必要は全然ありませんが、現代にあったお互いがお互いを支え合う社会を作るしか手はないのではないかと思っています。
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  平均寿命と健康寿命の差を短くする、当然ながら、できるだけ自立して動ける時間が長ければ長いほど良いわけです。これも高齢者や老化の特性を明らかにして、予防の方法論を確立して、それを組織的に、有効に進めていく。今までの社会では4人に1人、あるいは3人に1人が高齢者であるということを想定して地域環境、社会システムが作られてきたことがありません。ですからこれからは高齢者が3人に1人、4人に1人という社会が当たり前なのだということを前提にしてどんな社会を作っていくのか、地域を作っていくのかだと思います。又、高齢社会では、社会のニーズも大きく変わるはずですが、その変化はわかっても、具体的にそのニーズが産業とどう結びつくのかを考えたことがありません。高齢社会における技術開発をどうするかはこれも大きな課題だと思います。
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 そして最終的にはどれだけの人がこの国に生まれてきて良かったと死んでいけるのかどうかです。非常に感情的な言い方ですが、人の命を大切にする社会、高齢者に敬意をはらう社会、このような文化が定着している社会です。自分が年をとってきたためによけいそう思うのかも知れませんが、こういった文化を作るしかないと思います。そしてこのような文化を次世代に継承していくことが、人は何のために生まれてきたのかということに対する解答だとも思っています。
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 今日は長寿科学振興財団の理事長の小林先生もみえていますが、小林先生があるところで少なくとも「一人では死なせない国」にしなければというお話をされました。私は非常に感動しまして、それから勝手にこの言葉を借用して色々なところで使わせていただいていますが、これは我が国のこれからのあり方を示す重要なキーワードだと思っています。一人では死なせない国を日本は確立すべきで、これすらできないようではとても世界一の高齢国とは言えません。こんなにわかりやすい言葉はないと思います。
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  明治以来日本は軍事大国で、世界のトップへ躍り出て、帝国主義政策のもとに資源とエネルギーを求めて土地の獲得に必死になりました。そして、どん底にまで落ちて数十年で一気に経済大国としてのぼり詰めましたが、金作りにも行き詰まりました。土地作りも金作りもいずれも国、国民の豊かさをもとめてやったことです。国民の豊かさを実現するために世界の軍事大国、経済大国をめざしてのぼりつめ、ゆき詰まり、そして今や予測して求めたことなのか、そんなこと思いもしなかった結果なのかよくわかりませんが、世界一の高齢大国になってしまいました。この140年の間にカテゴリーのまったく違う分野で世界のトップに3回ものぼり詰めた国は日本以外にはどこにもありません。ではこの高齢大国でわが国はいったい何作りをするのか、どんな豊かさを求めようとしているのかであります。これは真剣に考える必要があると思います。
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 最後に愛知万博の愛地球博でフランス館に行ったときに見つけた言葉を紹介させていただいて話を終わりたいと思います。星の王子様で有名なサンテグジュペリの言った、「私たちは両親から地球を譲り受けたのではなく、子ども達から借りているのです」という言葉が強く印象に残りました。長寿医療センターができて3年経ちますが、それ以来高齢社会、高齢者医療をどうするのかということを考え続けてきたものですから多少感傷的になっていたのかもわかりませんが、この言葉に非常に感動して、これもよくお話をさせて頂くときに最後の言葉として使わせて頂いています。
ご清聴ありがとうございました。